おまけ
 


ストUブーム

いまから7年くらい前、カプコンからアーケード版、ストリートファイターUが発売され、かなり人気が出た。

日頃ゲーセンでゲームをしないような人もやってるぐらいだった。

初めの頃はガイルでしゃがんで待ち、中足払いでけんせいして飛んできたらサマーソルトキックで落とす、さらにその後起きあがりを小技(小キックなど)を当てて投げ、繰り返しという待ち、ハメという戦法が大流行しました。ちなみにこのやり方は対戦で使うとごっつ嫌われます。私の場合、もし相手が使ってきたら、同じ方法でやりかえします。

コンピューター戦はこの方法でラスボスまで行けます。(ベガは跳び蹴りでサマーが潰されます。)この頃はガイルでなかなかクリアできなかった。ある日、同じ学年のしげる(仮名)という男が、「おれこの前ガイルでクリアしたんぞー 余裕じゃ」と言ってたので、ガイルでベガまで行った時、後ろにヤツが順番待ちしてたので、やらしてみたらぼこぼに負けました。もう話にならないので次のラウンドで急いで代わり、サマーソルトを決めると、後ろで「そーじゃ、それでええんじゃ。」とえらそーにほざいてた。なにぬかしよるねん。こんなつまんねー嘘はすぐばれるからダメだよ。

みんなコンピューター戦はクリア、または終わりのほうまでいけるようになってるので、しばらく待たないとプレイできない状態になった。そうなると、順番待ちにコインを筐体に入れておくようになぜかなってた。(誰がやりだしたんだ、こんなもん)普通は置きクレジット(筐体のスミにコインを置く。)が一般的なのですが、これで白熱してプレイしていると、誤って2Pのスタートボタンを押してしまうことがたまにあり、もちろんその時は弁償しないといけない。でもこれをやってないで待ってると、後からきたヤツに平気で順番を抜かれるからイヤなんだけどお金を入れとかないとプレイできなかった。いつか、金持ってるヤツが9クレジットいれて独り占めでプレイしていた。パーですな。

八百屋に筐体を3台並べて、その一台がストUだった。小学生が学校の帰りにランドセル後ろに投げ捨ててやってた。

なぜがコンパネがボロボロになってた。どんなプレイしたらそんなボロボロになるんじゃ。

ちなみに私はこれまでレバーはワイン持ちでしたが、ザンギでスクリュー(レバー1回転)が出なかったのでかぶせ持ちに変えた。今もそう。


林原めぐみさんのファンになったきっかけ

あれは、7年前、15歳のころ。ふと買ったアニメージュのふろくに、めぐさんのラジオ、めぐみのハートフルステーションの紹介がちょこっとあった。そのころは今みたいに声優のラジオが少なかったのでか、まーちょっと聞いてみようかと言うことで聞き始めた。そしたらめぐさんの魅力にひかれ、ラジオ番組自体おもしろかったので、それから毎週きき始める。で、しばらくすると、めぐさんの2枚目のアルバム、「WHATEVER」(XBANDのコードネーム、ハンドルネーム、IDにつかってます。意味はなにはともあれ。スヌーピーのマンガに出てくる。)が発売されて、もうこの時点でファンだったので発売日に買おうとしたけど売ってなかったので1枚目のアルバム「Half and Half」を買った。その後、「WHATEVER」も初回特典付きで買えた。よかったよかった。めぐさんのラジオ番組についてはラジオのことでどうぞ。


ジャンプ放送局

高校1年〜2年の時、ジャンプ放送局で一番掲載率の悪い都道府県が地元徳島県とどっかの県で、その県の特徴や自慢するようなものをその県の人限定で投稿するコーナーがあった。それならばと、鳴門の大塚製薬のポカリスエットは吉野川(徳島県の川)の水で作られている!!君の飲んでるポカリも吉野川の水かもしれない・・・。というハガキを出したら、なんと載ってしまった。それで2点もらえた。取った点数ぶんJBSバッジがもらえた。県別優勝者にはJBSテレホンカードがもらえたので、徳島県でトップをとったろーと、一週間でハガキを13枚出した。ちなみに常連の人は一週間に10〜20枚以上出していたらしい。自分は毎週ジャンプを買ってるわけではないので、立ち読みでチェックしてた。ある日、JBSバッジが3個送られてきた。載ったけど、見落としてたのだ。行きつけの散髪屋でその号のジャンプをゆずってもらってはじめて知った。これで合計5点。それで余裕こいてハガキはださなかった。経済的な関係もあったし。しかし、レースが終わってみると、違う徳島の人が7点くらい取って徳島県で優勝してた。もっとハガキだしてりゃよかったな。

ジャンプ放送局に載ったはがきは単行本に収録されるのですが、集英社から往復ハガキがきて、本人に単行本に載せていいか、確認がくる。もちろんオッケーしたよ。


週間少年サンデーの投稿コーナー、ガチャカン

私が毎週買ってる漫画雑誌がサンデー。買い始めてもう7年になりますが。

これも高校1年〜2年の時に、それまでサンデーでやってた投稿のコーナーが終わり、新しいコーナー、「ガチャカン」が始まったのさ。これで採用されるとサンデーで連載しているマンガの希望のテレホンカードがもらえるという。さらに毎週一番よかったハガキには、「持ってけスーファミ賞」と言って、スーパーファミコン(この頃まだ現役)+ソフト1本+テレカがもらえた。らんま1/2が好きだったのでらんまのテレホンカードを狙ってハガキを出すようになった。結局賞品が豪華すぎたのか、1年くらいでおわってしまった。結果は3回採用された。そのうちもってけスーファミ賞が2回。スーパーファミコンが送られてきた時にらんま1/2のテレカと、おまけか、ゴーストスイーパー美神のテレカも付いていた。今は投稿コミックショーというコーナーをやってます。


ゲームセンター「たまや」

私は2年間、徳島市内の専門学校に通っていた。その間、とくしまシティの近くにあるゲーセン「たまや」が帰り道なのでよく行っていた。

ここは普通のゲーセンとは違った雰囲気があった。居心地がよかった。喫茶店をそのままゲーセンにしたような感じかな?

たまやはジュースがやすい。30円〜90円くらい。たまに値段が変動する。今は90円かな?

UFOキャッチャーが魅力的で、景品に引換券が付いててジュースと交換できる。5枚集めるとUFOキャッチャーの景品と交換できる。

専門学校の帰り道なので帰りによく寄ったし、1時間の昼休みにもよく行った。そこで戦いがあったもんだ。

ローソン弁当軍団

ローソンで弁当を買って集団でたまやで弁当を食べてるヤツらがいた。そいつらを人は「ローソン弁当軍団」(以下軍団)と呼んだ。人数は日によって違い、だいたい5〜6人。その軍団には目立つヤツで茶髪でつっぱっててえらそうなのがいたのでそいつが軍団のリーダー(俺らが勝手に)と呼ばれていた。対戦はあんまりうまくなかった。パターンが読めるし。ほかにはビーバップハイスクールのヒロシみたいな頭をしていたヤンキーがいた。こいつはゲームがヘタだったのでカモ1号だった。(笑)軍団はカプコン系の対戦格闘ゲーム大好きっこだ。なぜかSNK系ゲームはあまりお気にめさないらしい。それでよく対戦をした。ストゼロから始まり、ストゼロ2,X−MEN VS ストリートファイターでよく戦った。こちらはつれと3人。昼休みにストゼロで軍団から10人抜き以上したが、時間がなかったので途中で帰った。。こんなことが何度かあった。もったいない。

ストゼロ2で俺(ローズ)VSヤンキー(豪鬼)(↑参考)の対戦で、豪鬼が狂ったように豪波動を打ってくるので全部リフレクト(214P)で吸って、ムキになって打つ豪波動の硬直にオリコンをたたき込んだ。(↓大K・41236P連打)これで8割へる。すごかった。

軍団はとてもマナーが悪い。テーブル筐体の上やアップライト筐体のコンパネの部分にカバンなどを置いたり、気に入らないと筐体を蹴りまくる。もうサイテー。

X−MEN VS ストリートファイターでは軍団のリーダーとヤンキーは主にリュウ、ケンばっかりだった。エリアルレイブもろくにできないのでストゼロやってんのと同じ。

あと他にサラリーマンがよく対戦ゲームをやっていた。こいつがとんでもないチンカスのチキン野郎だった。気に入らないことがあると筐体蹴ったりコンパネも叩きまくり。ツレと後ろで「こわれるー、こーわーさーれーるー」って言ってたよ。順番も平気で抜かす。最悪。私は新しいゲームの順番待ちしていてこのサラリーマンにわけのわからん理由で順番抜かされたので、対戦台で見つけるたびに乱入してボコボコにしてやった。めちゃめちゃ弱いのでカモリーマンと呼んでいた。XMEN VS ストリートファイターでヤツはチュンリーとかダルシムを使ってて、チュンリーで天昇脚を出したときに狂ったようにボタンを連打するのでヤツのチュンリーを「キ○ガイチュンリー」と呼んでいた。今も昼か夕方にたまやにいるかもしれん。気をつけろ!!


次はまた気が向いたときに更新。

トップページに戻る。